自己紹介

初めまして。縁がありこのブログを訪れていただきありがとうございます。

このブログは、多汗症、HSP、適応障害を発症した私の備忘録としてこれまでの体験を綴っていこうと思い立ち上げました。もし同じような症状があり生きづらいと感じている方が、私の体験から何かのきっかけを感じて貰えたら幸いです。

1986年埼玉県生まれ 寅年 二児の父 ETS手術済み

目次

幼稚園~小学校

幼少期は活発に過ごしていた。運動が好きでそのことが自身にもつながっていた。

少数のクラスしかないためもともとあった人見知りも不自由を感じないで過ごしていた。
硬筆、テレビゲームなど、力が入ると鉛筆、コントローラーに汗が付く為、人よりは汗っかきなのだなとは何となく思っていた。

中学校

色んな小学校から人が集まり大きな集団となった。

入学後から暫くは毎日緊張していた。初めて会う人とは上手く話すことができずにいた。

一人で誰とも話をしない日も多くあったが一人でいること、静かに内省することは好きだった。日が経ち、やはり運動が得意だったため、体育を通じて周りと話すことが増えていった。

部活は野球部に入った。女子の目、周りからの評価が気になるようになる。ニキビもでき始めた。手汗が日常でも増えた。ニキビの増加とともに女の子と目を合わせられなくなった。自信も失っていった。

試合には出れるようになったが緊張する機会が増えた。バットのグリップは一球ごとに股に挟み汗を拭った。空振りしてバットが飛んでいかないようにできるだけ短く持った。


軟式ボールは汗で滑るため常にズボンで手を拭き、送球に備えていた。しかし、毎度上手く行くわけもなく、悪送球をすることもあり、送球に常に不安を抱えて守備をしていた。監督から怒鳴られることも当然あった。


今思えばイップスだったと思う。当時はそんな言葉知らずにいたけれども。

高校

入学後暫くは中学の時と同様、緊張していた。自分から話しかけることはしなかった。

女の子から話しかけてもらい少しずつクラスに溶け込んでいった。そこそこ自分の顔はいいらしい。ニキビで自信はなかったけれども。

また、高校から大学にかけて赤面症が辛かった。緊張しやすく、顔が赤らみ、汗が噴き出した。女の子と話をしたい反面、怖さもあった。噴き出す汗に日常から悩まされるようになった。

大学

おしゃれに目覚めだした。バイト代の多くは服に使った。ニキビを直したくてニキビ薬、化粧品も色々試した。
見かけとは裏腹に内面は全く自信がなく、多汗症、赤面症に悩まされていた。

大学でのサークル付き合いは軽く、騒がしく、自分には居心地が悪かった。上辺だけの付き合いが苦手で一年で辞めた。その後は大学構内を一人で過ごすことが増えた。読書、新聞を読み込むことが日課になった。

確か大学3年の春、日経新聞に手汗に関する記事が記載されていた。その時に初めて手掌多汗症という症状を知った
自分は病気なのだ、自分以外にも苦しんでいる人が大勢いること、治療法があることを知った。

胸部交感神経遮断手術(ETS手術)の存在を知ったのもその時だ。だた、代償性発汗のこともあり、すぐに手術を受けるという選択肢は無かった。

半年ほど手術、代償性発汗について調べ、仮に代償性発汗で他部位の汗が増えても、掌の汗をなくしたいと決心ができた。

誰にも相談はしなかった。誰も自分の苦しみはわからないだろうから。大学3年の冬、こっそりと右手の手術を受けた。(左手は2年後に受ける)

代償性発汗はお尻と背中の汗が若干増えたかなという程度であった。手汗がなくなり世界が変わったと思った。少しずつ自信がでた。自信とともに赤面症もマシになっていった。

就活

就職活動は苦戦した。なんとなく華やかで楽しそう、女優とも会えるんじゃね?という理由で大手の広告会社を志望した。
しかし書類選考で全滅。つぎは、金が稼げそうという理由で信託銀行を志望した。


特に何がやりたいでもない優秀ではない私のような学生は当然落ちた。赤面で顔から汗が噴き出しているオドオドした男を積極的に採用したいと思う会社などないのだ。

結局就職活動では40程落ちた。内定を得た1社に入社した。そのころには最早開き直っており落ち着いていたと思う。内定受諾後、さらさらの右手で握手した。

ここから新しいストレスと向き合っていくことになる。

転職

話は飛ぶが、結婚した。今後のことを考え転職することにした。転職先は従業員40名程度の外資企業だ。

当時の上司とはそりが合わず、配置転換にあった。新しい部署でも社歴の長い変人がいて嫌がらせを受けるようになる。入れ替わりの激しい会社の弱さをまじまじと感じた。蓄積されたストレスでメニエール病を発症した。目眩で倒れた。

会社の業績が悪化し、退職勧奨をうける。弁護士と相談し一時金を上積みさせ会社都合退職した。

老舗大企業へ

安定と働きやすさを求め大企業への転職を目指す。コロナ拡大前で運よく内定を得る。

大した研修もなく、配属後すぐ顧客の引継ぎを受ける。残業は50時間を超えていく。今までも困難は超えてきた、今回も時期に慣れる、少しの辛抱だと堪えるが・・・。

半年が経ち毎日下痢の症状がでる。下痢ぐらいなんともない、出せば治まる。それから暫くして毎日頭痛がするようになる。大丈夫、頭痛薬常備しよう。

ほどなくして目眩が発症。ちゃんと寝ないと良くないな。メニエールは怖いのだ。

早く帰りたいが終わらない仕事、新しい業務、残業は増えた。家庭は妻に任せてきりで申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

ベットに入るも眠れない。不眠症になった。

朝から吐き気がするようになる。注意力が無くなり、言われたことを覚えていられない。正直、自分でも限界を感じていたところ妻から心療内科の受診を勧められた。

受診結果は適応障害。診断書を貰い休職することとなった。

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体調が良くなり、ブログをやってみたいという衝動に駆られ書き始めました。

細かい事象に関して今後記載していきたいと思います。

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この記事を書いた人

1986年生まれ。小学生頃から多汗症に悩まされる。中学以降多汗症及び赤面症により人目が気になる。HSP気質が増長される。
大学3年冬に右側の多汗症ETS手術を実施。2年後に左側も施術。
社会人になり、メニュエール病、適応障害を経験。普通の生活に不自由を感じ、それらの経験の記録の為ブログを始める。2児の父。

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