適応障害と休職
妻からのアドバイスと心身の限界を迎えて心療内科の受診を決めた。まだもし気力があったならば、妻からの勧めでも心療内科を受診することは無かったと思う。
精神科医に対する疑念と偏見があったし、自分がメンタル不調になんてなるわけないという驕り、プライドがあったからだ。
しかし、限界を迎えてそれどころではなかった。藁をもつかむ気持ちで受診可能なクリニックを調べた。
近所のクリニックは予約でいっぱいであった。新規の患者の受け入れ停止中のところも多い。それくらい受診者が多いことに衝撃を受けた。近所でのクリニック探しは諦め、会社と自宅の間で探すことにした。
電話をすると翌日の予約がとれた。クリニックの数も多く、都内で働く人には受診しやすいと感じる。
クリニックは混雑していた。若い人が多い印象。皆見かけでは心身に異常を抱えているかはわからなかった。
クリニックではアンケートの様なものから血液検査まで各種検査をした。
診察では自分の症状を話した。下痢、不眠、吐き気、頭痛、目眩・・・。
適応障害という診断だった。すぐに一カ月程度休職するように勧められた。診断書も書いてもらった。
ちなみに診断書は保険適用外。
医師と話をして少し気が楽になった。また、初めてクリニックを受診してみて、自分と同じように苦しんでいる人がたくさんいるということを知ったことも自分を安堵させた。不謹慎かもしれないけれど。
睡眠剤を処方され、寝つきはよくなった。睡眠薬さえ飲んで眠れれば体調も戻るのではと安易な考えが頭をよぎった。この考えのため適応障害の診断書をもらってから実際に休職するまで一カ月ほどかかった。
休職を申し出ることは初めての経験だった。転職することは選択肢にあった。過去に転職したことがあったから。
しかし、休職は選択肢になかった。自分にとって身近なものでは無かったからだ。休職者を見たこともなかった。
上司とは入社してから残業が増えた際に指摘を受けるぐらいしか会話をしていない。まさか、私が健康を損ねているとは思っていないだろう。
別室に呼び出し休職したい旨の話をした。大して驚きもせず、診断書を受理された。いつから休みたいかと問われ、明日からとは言えなかった。引継ぎをしてから休ませていただきますと、意思の無い、当たり障りのない自動応答をしていた。
私が担当している会社にとっての重要顧客、別の言い方をすれば手間のかかる面倒な客はAさんに引継ぎをするよう指示を受けた。Aさんには余力があるからという上司判断だ。私にはそうは見えないが。
Aさんは別部署から異動してきた人で、気の小さい感じの人だ。指示されれば意見もしないだろうと見受けられる。
転職者、異動者、従順そうな人は厄介ごとを押し付けられ易い。みんな同じようにやっているよと言われれば、そうなんだと自分自身を納得させる。無理をしてでも。今回自分が適応障害になり、業務を引き継ぐ中でそう感じる事象が多々あった。
引継ぎをしてから休職しますと言ったことで仕事をする期間が延び、体調は悪化した。ケアレスミスも増えた。責任感で気力を振り絞り引継ぎをし、逃げるように事務所を出た。
つかの間の何もしない生活
休職してからもしばらくは体の不調が続いた。何もしなかった。というよりも何かする気力が無かった。
元々読書が好きだった。暇があれば本を読んでいたが、体調が悪くなってからは活字を見るのも嫌になった。音楽も人の声も耳障りで不快だった。
妻が仕事に出かけ、子どもが幼稚園に行き誰もいない家の中、何の音もしない空間が癒しであり休める時間だった。ただし、豊かな時間ではない。それは理解していた。
何もしない時間はすぐに終わった。当然だが家事、子どもの送り迎えを申し付けられるようになった。
買い物に行き、指示されたものを購入する。買い忘れが毎度の様にあった。お迎え時間を毎度紙に記載するのだが、何時に迎えに行くのかを忘れる。書いた記憶がない。こんな有様だった。
自分でもびっくりした。これが自分の能力なのかと。会社にいたときは緊張の糸を集中力でコーティングしてミスをしない様に常に気を使っていた。ミスは許されない仕事だったから。
仕事を休職し、気力も緊張感も無い自分は無力だった。買い物すらまともにできない。
このことが気持ちを更に沈めた。
子どもを迎えに行く。そして公園に行く。これが日課になった。誰からの指示ではない、娘と私の同意による一緒に遊びたいという行為だ。嫌なら嫌と言える強制ではないもの。色々な要求を受け入れすぎて、拒絶することをしなかったなと公園でふと思った。
平日に公園で遊ぶなんていつぶりだろう。思い出せない程昔の話だ。
土日に遊ぶのとはまた違う感覚。土日に遊ぶのは平日に家に居れない罪悪感から生じる義務感が多少あった。自分で自分に子どもと遊ぶ課題を課していた。土日に遊んだ後は義務から解放された疲れがあった。疲弊だ。
平日に遊ぶ疲れは爽やかで身も心もリフレッシュした。
ここから気持ちが前向きになった。