最初の転職

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転勤のない会社を求めて

転勤後一年半程の後、転職した。
理由は転勤に意味を見出せなかったこと、取扱商品がニッチすぎて市場のすそ野が狭く、将来性が見出せなかったことだ。

そもそも商品に興味を持てなかった。

福利厚生などを考えると大企業に目がいった。やはり大手は安心感がある。

ただ、当然全国に支店があるため全国転勤の可能性があり、選択肢には残らなかった。
中小企業は情報が少ない。財務の健全性などが不明な点が気がかりであった。

転勤がないことが第一条件であると選択肢は狭まる。

当時は今ほど地域限定職の採用は無かった。


エージェントから紹介された社員数40名程の外資企業に縁があり採用され、入社を決めた。

職務の固定

新卒で入社した会社を五年半で辞めた。辛抱して続けてきた仕事だ。

石の上にも三年。短期離職は職歴に傷が付く等世間で言われていることが気になりせめて三年は続けよう、今辞めたら迷惑がかかるから堪えなければと思っていた。

機械の営業を5年も続けていると、紹介される求人も機械関係ばかりになる。別に機械に興味があるわけではないが、エージェントからは機械関連の求人を紹介される。あなたに紹介したい求人として。

興味のない仕事を辛抱して続けると、その仕事を今後も続けていきたい人間として相手の目に映る。

キャリアを変えたいのならば早い方がいい。時間が経てば経つほど選択肢が狭まってくる。

即戦力と研修

入社するとすぐに営業に同行することになった。空いた時間で会社の説明をざっと受けた。


会社は日本での業歴が30年近くある企業だ。直の上司の営業部長は社歴が長い。

他の部署にも数名社歴の長い者がいるが、大多数は入社数年だという。つまり入れ替わりが激しい。

社歴の長い人間が会社を支配している様に思えた。入社したことを後悔した。


残業は無く、給料はわりと良かった。何しろ転勤がない。

ただ、会社組織としてはギスギスしており、空気が重かった。敏感な自分はその空気を強く感じた。

入社後一カ月もすると、休眠顧客の掘り起こしと新規開拓を命じられた。


既存の顧客が割り振られることは無かった。

外国の高価な機械を定期的に購入してくれる見込み顧客を私にくれることなどなかった。

上司はそのお客さんだけで食わせてもらっているのだから。

営業は得意ではないが、ギスギスした人間関係から解放される一人で外出する時間はホッとした。

気疲れしなくてすむ。
ただ、直ぐに結果を求められた。

100社以上訪問の後、あるお客さんに興味を持ってもらえた。

機械のテスト結果も良く、受注が見込めた。上司が同行し、受注に至った。

売り上げ成績は上司のものになった。

既得権益と押し付け

新しく入った人間に面倒ごとを大事な仕事と称し押し付けることはあると思う。

今回の休眠顧客の掘り起こしと新規開拓がそうだ。


過去のいきさつを知らない新人ならば情報を取ってこれるかもしれないと思うことはあり得る。


売り上げも上司の手柄とすることも可能だ。事実、一度は同行したわけだから。

年末に一度、社長との面談がある。その面談の内容は外には漏れないという前提であった。
その席で一年間の苦労を話した。


翌年、営業部長から不満があるならば辞めることも一つの道だといわれた。突然何を言っているんだと思った。

数か月後、私は不適格という理由で営業から物流へ異動させられた。

理由

物事には理由がある。社員が増えない、人が辞める、客が離れる、全部理由がある。

私が異動させられたのは不満を言ったと認識されたからだ。不満を口にできる立場にないということだ。

ただ、奇しくも苦手な営業から物流へキャリアチェンジをすることができた。

しかし、会社への不信と怒りは許容を超えており、転職することにした。

すぐにでもしたかった。でもできなかった。決まらなかったのだ。

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この記事を書いた人

1986年生まれ。小学生頃から多汗症に悩まされる。中学以降多汗症及び赤面症により人目が気になる。HSP気質が増長される。
大学3年冬に右側の多汗症ETS手術を実施。2年後に左側も施術。
社会人になり、メニュエール病、適応障害を経験。普通の生活に不自由を感じ、それらの経験の記録の為ブログを始める。2児の父。

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