コロナ禍での転職 2020年4月入社

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多忙な配属先

無事転職先が決まり、2カ月の無職充電期間を経て入社した。
世間は新型コロナウイルスで騒ぎが広がっている最中であった。もう少し就職活動が遅れていたら、難航していたら決まらなかっただろうなと思うと肝を冷やした。

実際、未知の状況に遭遇した場合、会社は先行き不透明として採用を見合わせることが多い。新卒採用にしても中途採用にしても一旦とりやめにすることが多々ある。中小企業ならば尚のことだ。

そんな最中業歴の古い大企業に滑り込み入社できたことを幸運に思っていた。給料は前職よりも下がったが、退職勧奨を受けた身であり、安定を望んでいた。二度目の転職であり、長く働ける会社を希望していた。夫婦共働きで共に子ども達の成長に寄り添うことが可能だと思っていた。

皆マスクをしていた。今でも鼻から下は数えるほどしか見たことがない。配属初日から皆ピリピリしていた。挨拶もそこそこに皆自分のデスクに顔を戻す。電話の音がやかましく鳴り響いていた。

二日ほど会社の説明が駆け足であった。正直全く頭に残らなかった。形式的にこなしているだけである。三日目からお客の対応を任された。わけもわからず、見様見真似でこなす、捌くことに必死だった。

新型コロナウイルスの影響で飲み会、大人数での食事が禁止されていた。同然歓迎会等は無い。皆多忙でピリピリしており、コミュニケーションは希薄であった。
入社間もない為当然わからないことだらけだ。質問しづらい雰囲気が辛かった。タイミング、顔色を窺い話しかける。何度体験しても慣れない。冷や汗が出る。

入社初月で残業は40時間を超えた。次の月は50時間を超えた。配属先の部署皆がその様な状態だった。ただ、別の部署は定時で帰っている。人員の配置が明らかにおかしかった。ただ自分はいる部署で適応するしかない。
転職してきた新人の選択肢は慣れる以外にはなかった。いや、実際には他の選択肢もあるのだけれど、自分には慣れる以外の選択肢が見えなかった。

今までの会社では部門の長は実務に精通している人が務めていた。しかし、この会社では必ずしも部門長が業務に精通していない。

各所員がどんな業務を抱えているのかを把握しているわけではなかった。見ているのは数字のみ。売り上げがいくらあるか、残業はどの程度か。数字のみで判断する。


簡単に売り上げが立つお客もいれば、手間のかかるお客もいる。難しさ、手間と時間がかかることは考慮されない。
残業が増えると注意を受けるようになった。ただ、お客の依頼を捌かないとクレームになるので時間が必要だった。昼休みも仕事をし、昼食を抜く、軽く机で済ませるようになった。

見失った目的

この会社を選んだ理由はいくつかある。
・転勤がないこと(転勤なしのコースを選んだ 転勤ありより給料安)
・倒産可能性が低いこと(大手インフラ会社)

新卒の会社で転勤してみて必要性がないと判断した。住むところくらい自分で決めたい。前職の中小企業で会社の業績不振により退職勧奨を受けたことで大企業を求めた。

この会社ならば働いている妻と家事も分担し子どもの成長に寄り添えることが可能だと思った。子どもとの時間を給料よりも優先した。業歴の古い大企業ならば社内の仕組みも整えられていて残業も少ないと思っていた。ただ違った。

会社の残業時間は20時間程度と聞いていた。確かに残業ゼロの部署も含めて平均すれば20時間程度かもしれない。配属先で違いがありすぎて意味の無い数字だ。

家に帰ると家族は皆寝ている。家事育児は妻のワンオペ状態。申し訳ないと思ったが暫く辛抱してもらう他なかった。仕事と家庭の両立を胸に進んだ職場が共倒れとなり、心と体に不調をきたすようになった。

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この記事を書いた人

1986年生まれ。小学生頃から多汗症に悩まされる。中学以降多汗症及び赤面症により人目が気になる。HSP気質が増長される。
大学3年冬に右側の多汗症ETS手術を実施。2年後に左側も施術。
社会人になり、メニュエール病、適応障害を経験。普通の生活に不自由を感じ、それらの経験の記録の為ブログを始める。2児の父。

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